元日に藤沢の実家へ

年越しはネットをやってるうちにいつのまにか0時を回っていた。PCのバーの時刻で新年になっているのを知る。また深夜までやってしまって、この正月休みはしばらく夜型状態。
ところでこれまで1歳9ヶ月になった娘はベビィとかいてきたが、ここから愛称である「とっち」と呼称変更。二人目が生まれてからとも思ったが、最近は自分のことを「とっち」とも呼ぶようになっているし、そこから本名が分かるものでもないのでここではそう書く。

ということでいつのまにかの2011。

朝は相方が昔の三和銀行ノベルティだったスヌーピー重箱に詰めたおせち。といってもいろいろ作るのはもちろん無理で、お煮しめとかごまめとか栗きんとんが手製。
年賀状をポストから回収して10時過ぎくらいに出る。横浜新道でETCレーンを久しぶりに通過。買い替え前のライフのETCは読みとり部が壊れて使えなくなっていて、直すと新しいのをつけるくらいかかるというので、ずっと料金所では現金払いが続いていた。久しぶりにETCの恩恵にあずかる。もっとも音声で200円といっていて、なんで150円じゃないんだろうとしばらく考えていた。前は軽で今度は普通車なのだった。
原宿トンネルができたので渋滞はないはずがずっと渋滞していると思ったら、トンネル手前での事故渋滞。救急車が2車線の間を抜けていったとは思ったがその現場に向かっていたらしい。上下線の中央に斜めに止まった緑の乗用車があって、その付近に消防車や救急車やパトカーが止まっていて車線が減っている。よく見ると斜めになっている車の側面のドアがない。そこを過ぎるとスムーズ。とっちは車が流れ始めてからねんねだがそこから実家へはもう10分もかからない。
いつもなら実家でたいてい着いた時に泣くが、今日は固まってはいたものの泣かずにいられた。大阪のじいちゃんばあちゃんとは別れを惜しんで大泣きしたそうだが、藤沢のじいちゃんばあちゃんは最初に顔を見たときにいつも泣く。今回は泣かなくてしばらくして慣れたようでいつものしゃべりも存分に出ていた。今では珍しくないいろいろな単語も、藤沢のじいちゃんばあちゃんは初めて聞くものばかりで驚いていた。
お昼にお取り寄せの高級おせちをいただいてから、公団住宅併設の小公園の滑り台であそぶ。公園があるが遊具はこの滑り台のみ。とっちには楽しいようで上っては滑りの無限ループ。じいちゃんばあちゃんにも滑らせていた。
その足でお散歩。隣りのブロックの団地にいき貯水槽上の広場を駆け回る。不思議な白い実が枝ごとたくさん落ちていてこれをちぎるのに夢中になる。帰りは家まで抱っこした。
疲れたはずだが寝かしつけてもなかなか寝ない。相方の添い寝にバトンタッチ。藤沢では珍しく2時間近く昼寝できた。ディズニーチャンネルを録画してもらっているのをいくつかDVDに移動。ノートパソコンにデジカメに撮りためた写真を取り込むのをやっておく。1700枚とかある。
とっちがよくお昼寝できたこともあって思ったよりも長居になった。すき焼きといううちでは出ないメニューでの夕飯もご馳走になってとっちもお年玉をもらって、20時過ぎに辞する。
帰りは原宿トンネル効果か若干詰まり気味ではあるものの渋滞には至らず、スムーズに帰り着いた。