みらろ入院(第一週4/22-)

4/22月

木曜に近場の小児科、土曜の朝に前のかかりつけ小児科、土曜の夜に東戸塚の夜間救急の小児科に行ったみらろ、日曜の夜も高熱なので、月曜の朝になって再び以前のかかりつけの小児科へ。3軒の中の土曜の朝に行ったところ。

夜中は断続的に泣いていて、とっちに2回くらい寝言で「うるさい!」といわれていた。
朝は36.5度だが昨日も朝は下がっていた。その後やはり37.7度になっている。発疹は前の日となんだか様子が違う。ぽつぽつだったのが、べったりした模様みたいに赤くなっている。

月曜だが会社には一応全休で連絡。異動前の部署なら14時くらいの出社になっても午前休にもならないようにできたが、4月からは13時に間に合わなければ一日休み扱い。俺だけでまた小児科に連れて行くという話もあったが、ここは一番よく把握している相方に説明をしてもらったほうがいいだろう、と全員で車に乗っていく。
まずはとっちを幼稚園で下ろす。その足で小児科へ。引越し前ならなんとか徒歩圏内だったが今は自転車でもやや遠くなった。車ならすぐ。
そしてここで初老の医師が、川崎病ってご存知ですか?と思いもよらぬことをいいだす。は? 川崎って横浜の隣の川崎?としか浮かばない。そしてたいていの人にいうと同じ勘違いをしていたが、公害病かなにかかと連想。相方も名前は知っていたが内容はよく知らない。後で調べてみると川崎市の川崎ではなく、発見したのが川崎さんなので川崎病というのだそうだ。
で、ひどい場合心臓がどうこうと説明されて頭が真っ白になる。市民病院への紹介状を書くのでそちらで受診するよう言われる。車なら横浜新道を使えば15分かそこらだと。
呆然としつつ横浜新道経由で常盤台で降りて10時くらいには横浜市民病院に着く。しかし駐車場の入庫待ちの列がずらっと延びていてこれではいつ入れられるか分からない。相方とみらろを玄関前で下ろす。入庫待ちに並びかけるが進まないので近くのコンビニへ。国道1号に面して駐車場は広い。のどが渇いたので相方の分と飲み物を買っていく。
この手の大規模病院の常で待ち時間ばかりかかる。初診の受付で20分、地下に降りて小児科の前で30分くらい待つ。そして小児科では廊下に置かれたパソコンに問診票を入力する必要があり、相方が始めたが3ページ目くらいで声に出して悪態をつき始める。これ救急の場合でもいちいち入力させるんだろうか。病院側が初期症状のデータベースを作るには便利かもしれないが。

11時になり呼ばれて、とっちの迎えが11時半なのでそろそろ行こうかと思っていたところだがとりあえずいっしょに入る。で、ちょっと見てなんとその場でまさかの入院の結論。時間がないので最後まで聞かずに出てきた。
帰りも横浜新道を使ってとっちの迎えには無事間に合う。とっちにはみらろが「おかあさんとびょういんにおとまりになっちゃった」と説明。大きい子だと一人で入院する場合もあるようだがまだ2歳なので付き添いが必要。それも24時間。
とりあえずとっちのことがあるので急遽俺の実家にヘルプをお願いして藤沢からじいさんばあさんに来てもらうことに。

とっちは県民共済に入ってて毎月1000円を払ってるが、そもそも小学1年までは医療費はかからないので解約しようかと思っていたところ。みらろは入っていなかった。入院保障で一日6000円とか出るのだったが。

入院といっても次の日くらいには退院できるんじゃないかと希望的観測をしていたがどうやら最低2-3週間は入っていないといけないらしい。となると入院費がどれだけかかるのか。ただでさえ部署の異動で手当てが月5万分くらい消えてる。月5万というと実に年60万。かなり生活厳しい。そういえばうちの会社は子どもがいない人でも共稼ぎが普通。

とっちの昼には前の日の残りなどを相方の指示であげて昼寝をさせる。昼寝した間にPCわ立ち上げて川崎病や市民病院を検索。なんでも45年たつのにいまだに原因不明の病気であるらしい。確かに心臓に血栓ができる恐れというようなことも書いてある。基本4歳以下がかかる病気。血管が炎症を起こす病気だとかでここ最近患者数は増えている。2010年には12755人。高熱が5日以上続く、目が充血、唇や舌が真っ赤、からだ全体に発疹、手足が腫れるといったうちのいくつかが当てはまれば川崎病と診断。みらろは目や舌は赤くないが、くちびるは赤い。手足もむくんでいる。

夕方に藤沢のじいさんばあさんが来てくれて、とっちはばあさんと留守番してもらい、じいさんと再び市民病院へ。6人部屋の左のまんなか。部屋の入口には紙で作られたトトロ。ちょうど夕食がまわってきてお昼を食べていないみらろは旺盛な食欲を見せている。

みらろは点滴を右手にギプスのように固定されて、心拍などを計測するコードもつながれている。19時前にみらろの付き添いをじいさんに頼んで相方と一旦帰宅。案の定みらろはぎゃん泣き。とっちはばあさんに夕飯を食べさせてもらっている。

付き添いで当分泊り込みになると風呂に入れない相方がとっちと風呂に入る。その間俺はドラッグストアへみらろのお茶やら買い物。相方は藤沢のばあさんに掃除や洗濯など家のことを説明。市民病院に戻ったのは22時過ぎ。その間じいさんはぎゃん泣きみらろに添い寝して飲まず食わずだった。


4/23火
火曜も休みをもらう。藤沢のじいさんらにはうちに泊まり込んでもらう。とっちをまた朝一番で土曜の朝や月曜の朝にいった小児科へ。咳止めがなくなったので追加をもらい、下の子は川崎病で入院したと伝える。その足で幼稚園へ。小児科はすいているので余裕で間に合った。教室までついていって先生にちょっと話をしておく。面談の延期は電話で連絡しておいたので、話は通っていた。

昨日のように幼稚園の間に病院往復しようかとも思ったが面会は平日は15時から、土日も13時からなので見送り。もっとも付き添いの交代ということならその限りではないが。4月のためか今日も午前保育。

とっちの幼稚園の園庭には鯉のぼりが張り渡されたロープに泳いでいる。年少と年中の作品を貼り付けたクラスごとの鯉のぼりもあって、とっちのクラスの中のとっちのを探す。風にあおられてなかなか読みとれないがなんとか確認。聞かれるままに下の子が川崎病で、というのを話す。幼稚園ではとっちのいっていた新しいどうぶつバスというのを初めて見た。園長先生によると同じ大きさでも大勢乗れるようになったんだとか。

とっちはお昼は意外に食べる。ばあちゃんの作ったパスタ。
お昼寝はじいさんの寝かしつけでころり。
14時20分くらいに起きたので15時からのヤマハへ。ばあちゃんもついてくる。今年度最後らしい。うちにそんなのに通わす金銭的余裕があるはずもなく、相方がどっかから調達して通わせている。男の子はうんちを連呼してて遅れてきた女の子はずーっとお昼寝したまま起きなかった。

帰っておやつをしてその足でじいさんの車でみんなで病院へお見舞いに。俺ととっちが後ろに座り道案内を後ろからする。ルートはいくつかあるが、浄水場前経由で。

相方と交代するとみらろは「かっかぁ!」と相方を求めて泣き叫ぶ。ベッドは昨日とは場所が変わって右奥になっていた。窓際で空が見えるので、開放感がだいぶ違う。「ねんね」といってころんとしたと思ったら「ここ、いや!」と起き上がって泣き叫ぶ。病院が嫌らしい。そりゃそうだよなぁ。不憫。その間とっちは相方といっしょにいて、院内地下のファミマで買い物とかもしてきてたらしい。感染症の予防のためとかで実は小児病棟へは15歳未満の子どもは見舞いでは入れない。兄弟でも不可。なのでとっちは病院に来てもみらろには会えない。小児エリアの入口ドアに白雪姫の小人が貼られていて、とっちはこびとさんのところ、といっていた。病室でのみらろの様子も聞きたがり、窓側で外の見えるところに移っていたと教えると想像している。
相方はこないだの発表会での帰りにとっちが車に酔ったのでそればかりやたらと気にしているが、空腹でカーブが多い道など条件がそろわないとそうそう酔うものではない。むしろ相方に買ってもらったという塗り絵を車内で離さずにじーっと見てるほうがよほど酔う原因になるのでそれは強制的に預かった。

家に帰って夕飯。ばあさんに用意してもらう。とっちはごはんにいかなごを載せていたら、おかずが鮭のときはしゃけごはんだと主張。それは失礼。食後には病院内のファミマで相方に買ってもらった紅白パックンチョを食べる。でもこれチョココーティングされてるとパックンチョに絵がついてる意味がない。


4/24水
引き続きうちの親に泊まってもらってとっちを託して久しぶりに出社。朝からバスが混んでいた。こないだ帰ったところの大阪の義父母にまたまた来てもらう。その迎えもうちの親に頼んだ。大阪のじいちゃんばあちゃんが着いたところで、藤沢のじいちゃんばあちゃんからスイッチしてもらう。俺が会社にいる間の動き。
なので帰宅すると大阪のじいちゃんばあちゃんがとっちの相手をさせられていた。
相方はみらろとずっと病院詰め。点滴での投薬は終わったようだが夜中また30分おきくらいで泣いて熱もまだあるらしい。くちびるが切れていてそこから血が出ているため抱っこすると服が血だらけになるとか。鼻血も何度も出ている。

4/25木
大阪のばあちゃんは今までも滞在中に相方と家事を分担してくれていたし、そもそも相方のやりかたは自分の親の踏襲なので基本的に安心して任せられる。この日はバスに乗る前に見たツイッター横須賀線が振り替え輸送というのを見て東戸塚には出ずに二俣川に出て相鉄で横浜へ。しかし横浜駅についてみると横須賀線区間運休のようでこのあたりは乱れながらも動いている。普通に東戸塚に出ても乗れたのかもしれない。
みらろが鼻血が出るのは薬の副作用みたいなものらしい。川崎病で怖いのは心臓に血栓ができることで、それを予防するために血液をさらさらにする薬というのを投与していて、その影響だと。

4/26金
大阪のじいちゃんばあちゃんには水曜に来てもらってずっととっちの相手をしてもらっているが、いまだに病院へ見舞いには行けずにいる。面会時間が平日は15時からなので、とっちの迎えやお昼寝を考えるとなかなか難しいというのもある。とっちの送迎はじいちゃんが歩いて往復している。俺の足で10分程度の距離だがとっちだと倍はかかるだろう。それでもよく歩いている。じいちゃんが違う道を行こうとすると大声あげて怒るようだが。
みらろは声が枯れているとか。ずっと泣いているからかと思ったら、なんでも声が枯れるのも川崎病の特徴なんだとか。確かにハスキーボイスになっていた。

4/27土
とっちは咳き込んで目を覚まして、鯉のぼりとチューリップの夢を見たと報告。どういう夢だ? そして「はやくおかあさんにあいたいなぁ」とぽつりとつぶやく。三日会ってないか。
朝はまたとっちを小児科につれていって咳止めをもらう。連休に入るので多めに。じいちゃんらも乗せて全員で病院に行こうと思うが相方が面会時間がどうたらといって来させないようにする。
そしてこの日から相談なしに一日9千いくらの個室へ移ってる。700円かかる血液型の検査を聞くくらいならひと言相談くらいあってしかるべきだろうに。6人部屋で大泣きして周りに迷惑かけてるからというのも大きい。ちなみにこの個室、トイレはあるがシャワーとかはない。一泊9000円とるならちょっとしたビジネスホテル並みの設備があってもよさそうなものだが。6千いくらの部屋もあるがそっちはトイレもないらしい。市民病院ならもつと安くてもよさそうなもの。部屋番号でいうと312から301に変わった。ちなみに312は入口にトトロが貼られている。

近場のドラッグストアへとっちと買い物に行ってみらろ用のペットボトルのお茶などを調達。和光堂やらピジョンの麦茶を飲ませている。
一人で車で病院へ向かい昼前くらいに到着。相方は12時半くらいに出て行く。みらろは「かっかぁ、がっこ」と大泣き。お昼ごはんは「いや」と全く食べず。相方が出て行ってすぐは俺に対しても「いや」と体をひねる。食事は幼児食を選択したらどうもメニューによってはみらろには硬いものが出るらしい。確かに鶏肉とかちょっとみらろには硬そう。
しばらくすると「ぢ」と部屋のドアを指差す。俺にも「がっこ」コールがかかる。ちなみにがっこは抱っこのこと。そしてぢはあっち、の意味。どうやら相方がそのへんにいるはずと思っているらしい。相方がドアから出て行ったのでそこから追えという指示のよう。「ぢ」と言われるままに病棟内の廊下をうろうろした。
あくびもしているから眠いはずなのに部屋に戻ろうとするとまた「いや」と身をよじる。14時半にようやく寝た。すぐ15時におやつが来たときに目を覚ますが、横に俺がいるのを見てまた二度寝。15時50分まで寝たと思ったら起きてまた泣いてかっかぁコール。
そしてまた部屋の外に連れて行けと指差し、その前に俺にかばんを持つよう指示する。どうやら俺がかばんを持てば外に出られると考えたらしい。
18時には夕飯がくる。これもいや、と拒否するがお昼もおやつも食べていない。食事は置いておけるのは2時間までと制限されてる。お昼は結局俺が頂いた。おやつのどら焼きをまだおいといたのであんこだけスプーンであげてみるとおいしかったらしく食べる。その続きで夕飯もあげたら今度は完食した。煮豆が気に入ったのか「まーめ」とリクエスト。
夕飯食べてるうちにお母さんのことは忘れたのかあれだけいってたかっかあはいわずに、ねえねー、じっちゃばかり連呼しだす。ご機嫌でトミカで遊んでから20時半ころねんね。
昼に出た相方は21時過ぎに戻ってきた。うちからタクシーだと2200-2600円くらいらしい。入ってきたときにがちゃりと音がしたがそのときはみらろは起きず、しばらくしてから目を覚まして相方にまたがっこコール。俺は22時前に出る。昼前から止めていた駐車場は1100円で済んだ。帰りに西友に寄って値引きのパン類を仕入れる。最寄りの西友が食料品フロアだけ24時間営業とは知らなかった。スヌーピー仕様のポッキーが128円なのでいくつか仕入れる。

4/28日
快晴で朝から暑い。でも富士山は見えていた。藤沢のじいさんに来てもらって病院まで送ってもらう。みらろは相方がベッドを出ただけで、かっかぁ、がっこ、と大泣き。相方にみらろのくちびるの血が服に付くといわれていたので、コンサドーレスヌーピーコラボの真っ赤なTシャツを着ていく。ちなみに他にもアントラーズグランパスもあるが、みらを抱っこしてると結局どれも同じに見える。
相方は入れ替わりで藤沢のじいさんの車で帰宅。しかし家まであと5分というところまでいってなぜか横浜新道のインターに進入してしまい、そのまま下りられずに市民病院よりさらに遠い第三京浜の港北インターまで行ったとか。新横浜までいって環状2号経由でようやく帰ったと。
みらろは朝にプレイルームで相方と遊んだらしい。俺も連れて行ってみると水の入ったペットボトルをころころ転がしてしばらく遊んだ。11時半までそうやって遊ぶかまたフロア周遊。朝寝なしのままお昼を食べさせてお昼寝させようとしたが、もうだいぶ眠かったのかぐずって食べないままお昼寝。
しかし起きてからも「いや!」とお昼は食べようとせず、結局消費期限の時間となって俺が全部たいらげる。好物のバナナも拒否してたが、それだけ置いといておやつのときにやったら食べてた。おやつはクッキー盛り合わせでこれは完食。ジョアはちょうど半分飲む。みらろには多いか。
15時過ぎに大阪のじいちゃんばあちゃんが今回初めて病院へお見舞いに来てくれる。みらろはずっと「じっちゃ、ここ」といってたくせに、いざじいちゃんが来ると抱っこしてもらったのも最初だけであとは「いや!」と拒否。眠くて寝ぐずりなのかじいちゃんもばあちゃんも失礼にも「いや!」と力いっぱい拒絶する。

16時10分に寝たので、見ていてもらって初めて地下のファミマに行ってみる。ばあさんに「見てて」と5回くらい行ってるのに部屋を出て行こうとする。どうも「でて」に聞こえてたらしい。部屋ではユニクロステテコに履き替えていたが、財布がジーンズのポケットで、かろうじて鞄に入ってたスイカで支払い。戻るともう目を覚ましてて大泣きしてた。
じいさんらの抱っこは最後まで拒否。その後も寝なくて18時前に届いた夕飯を食べさせる。最初は牛乳を見て「のむ!」。シュウマイが気に入ったらしくそればかり寄越せというが、筑前煮の鶏肉が固くて食べにくかったのか急に食べる気をなくしてエプロンも外したがる。ちょっとフロア周遊をして、眠かったらしく寝かせるとわりとあっさりと寝たが、18時45分に回診がきて、背中側から聴診器を当ててたが起きて泣き出した。
相方が電話を寄越せというのでかけてみたがまた恩着せがましい物言いをしてくるのにいいかげんうんざりする。
抱っこしてるときからうとうとしてたみらろは19時過ぎに寝なおして、結局22時過ぎまで寝てた。相方によると19時には寝て1時間くらいで起きるといってたがそれとは違うパターン。「かっかぁ」とつぶやいて起き出したがおむつを替えて抱っこしたらまたすぐ寝た。
ちなみに消灯は21時で、部屋には常夜灯的なものがない。ベッドサイドのアームについたライトを消すと真っ暗になる。